アフメド・モルタジャ

1996年生まれ、ガザ出身の作家。心理学を学び、ガザ市内の複数の文化団体で活動している。2023年10月28日に住まいを爆撃されたが生き延びた。彼はがれきの下からはい出し、現在も執筆活動を続けている。

10月11日 午前12時12分

 戦時下では、夜が競い合って僕たちを苦しめる。


10月13日午前12時56分

 こんにちは。アフメドがガザから君に話しかけている。

 自分の名前が速報として流れるのではないかと不安になる。例えば、こんなふうに。「激しい爆撃があった地域で〇名の遺体が発見されました」。今この瞬間にも増え続ける犠牲者の数に僕も加わり、ただの数字の一部になるのかもしれない。僕は自分の名前がそこに加えられることについては遠慮するし、奇数であれ偶数であれ、僕の家族にも単なる数字になってほしくはない。

 僕には多くの夢があった。例えば、ガザの外、広い世界に出て旅行すること。未知を知ること。僕の言葉で他者と交流すること。インターネットは世界各地を案内してくれて、その多様性も見せてくれた。僕はそうやって見た景色、イメージ、経験を自分の目で見て感じてみたい。

 僕は今、外で何が起きているか何の情報も持っていない状態で君に話しかけている。外というのは我が家の外という意味だ。数日前に僕が住んでいる地域は爆撃されたけれど、またこの家に戻ってくることができた。連絡手段がなくて誰とも話せない。爆撃音が鳴りやまず、照明弾がこの地域を明るく照らし出している。一体、何を警告しているのだろう。

 僕が最も恐れているのは、全てが普通の出来事になってしまうことだ。家が爆撃されることが普通で、それが何の警告もなく行われた場合にようやく普通でなくなるといった具合に。子供が死ぬことが普通で、泣き叫んで死ぬとようやく普通ではなくなる。その他、多くのこと。1つの文章では表せないこと。

 僕はアフメドという。友達が電話してくる(アースィムとアッスーミーだ)。ところで僕は友人たちの近況をあまりよく知らない。インターネットがつながる機会があれば、彼らのことをショート動画で確認はしているけれど。僕は全ての友人たちの顔を確認する。犠牲者の中に友人が含まれていないことを確認する。同時に写真や動画の中にいる人々が僕の友人だということに気づいて、泣いてしまう。

 僕はアフメド。子供のころはアラビア語と文法の授業が嫌いだった。2つの選択肢がどう違うのか探るのが嫌いだ。僕は答えが嫌いで、問うことが好きだ。2日前、ある問いにぶち当たった。「紛争の激化と戦争はどう違うか?」。僕は思った。結果が同じなら、この問いで重要な点は何だ? 結果とはつまり母親が泣き叫ぶことだ。彼女たちは泣き叫ぶ、機会がありさえすれば。

 僕はアフメド。死んで凡庸な数字の一部になること、この文章を書き終わる前に全てが終わってしまうことを恐れている。


10月17日午後11時15分

 Facebookが「今の気分は?」と尋ねてくる。神に誓って言う。この瞬間まで生き延びてこられたのは単なる偶然だとずっと思っている。

 僕らが見る、あの数字。つらくて泣いてしまう。現在のところ殉教者は4,000人に上る。4,000人の物語、思い出、独白、空想。書き留める必要も話して聞かせる必要もない。僕らが叫び、泣く声を死者たちは聞いている。

 そして、ああ、Facebook。僕らを確実に死に追いやるために、やつらは何度殺戮を繰り返してきただろうか。それと共に僕らの心の内にあった多くのものも死んでしまった。

 僕らは毎朝起きるたびに互いの数を数え、友達の中で生き延びた者の数を数える。それぞれに肩をたたき合い、気持ちを奮い立たせる。そして生き残るため、戦いの後に残ったものを何とか手に入れようとする。

 僕はもう1つの問いを自分にぶつける。ガザに安全な場所なんてあるのだろうか。友人たちはガザの中でも外でも命を失っている。できるなら教えてほしい。どこに行けばいいのか!

 以前、誰かが僕らのことをスーパーヒーローと呼んだらしいね? そんなこと誰が言ったんだ? 僕らは今も昔も、この暮らしを耐えられるものにしようと試みているだけだ。僕らは世界に無理難題を押し付けているわけじゃないだろう? 多くを求め過ぎているわけでもないだろう?


10月20日午後7時52分

 僕は自分のことが恐ろしくなってきた。

 何も感じない。ニュースに驚きもしないし、そもそも興味を失ってしまった。

 犠牲者の数を平然と確認するようになった。僕は気分はどうかと尋ねられると、たくさんのウソをつく。自分がどういう調子かなんて気にしていない。

 誰が僕らのことについて書くか、書いていないかということについても気にしていない。友達が死んだときに言葉を紡ぎ、書いて何になるというんだ。

 家が崩れて生き埋めになることは、もはや普通の出来事だ。人々が絶え間なく退去させられる様子を見ても特に考えることはない。考えようとも思わない。

 一日一日が似通っていて、最後に笑ったのはいつか思い出せない。以前は笑っていたんだろうか。それとも皆の前ではそう装っていただけ?

 家が爆撃されても悲しくはない。実のところ、僕は自分の家が部分的に破壊されても、まだ機能していることを恥ずかしく思っている。

 今、僕は自分が怖い。戦争ではなく。

 今、この戦争が僕らの心にある全てを殺してしまったのだと気がついた。驚く気持ち、悲しむ気持ちさえも。


10月23日午後9時17分

 僕は殉教した全ての友人たちに謝罪する。君たちを弔う十分な時間が僕らにはない。そして、なぜ僕らの悲しみが断続的に君たちに伝わってくるのかと尋ねられることがあれば、戦争が続くと悲しいことがたくさん起きるから、君たちは僕らの悲しみの欠片を手にしているのだと説明するだろう。

 僕は自分自身と友人たちに謝罪する。君たちの様子を確認する時間が取れないんだ。戦争は時間と安らぎを奪ってしまった。戦時下では、時間というものはないに等しい。

 僕は子供たちに謝罪する。僕は君たちに何が起こっているか論理的に説明することができない。あまりにも多くの爆発が君の小さい心臓に響くとき、どうすればいいかということも教えてあげられない。

 僕は、僕が暇だとぼやいていた全ての昼と夜に謝罪する。暇というのは、今の僕の意見では執筆活動ができるということだ。今この瞬間までは。偶然だ。僕たちはまだ生きている。

 僕は28歳の僕自身に謝罪する。君がこうなることを願っていたわけじゃないんだ。好きだった女の子に気持ちを伝える勇気を持つという願いが僕にはあった。でも戦争のせいで、今日、僕が勇気をもって行うのは文章を書くこと、そして僕と彼女の双方に新たな悲しみの負担を加えないことだけだ。

 最後に、僕のアラビア語が乏しいことを謝罪する。この文章が証拠だ。28文字では謝罪の手紙をうまくつづれない。


10月25日午後10時12分

 誰が僕たちに書くことを教えたのか知らない。僕たちはなぜ書くのだろう。書く目的は何なのか。そもそも、その論理的理由は何なのだろう。

 僕の舌はもつれ、言葉は混乱し、恐れているようだ。僕の文字はどもって、届かない叫びで満ちている。

 僕は自分の言葉を抱え込み、そこから何かを抽出して、起きていることを描写しようとする。でも僕には無理だ。失敗する。友人の傷を癒すことができるものを形づくろうとする。でも、できない。また失敗する。

 僕は基本的な質問以上の、普通の会話をしようとする。基本的な質問とは、こうだ。「水は見つけた?」「シャワーは浴びた?」「昼ごはんは何を食べた?」「大丈夫?」「今のは近かったのか、遠かったのか?」。でも僕はこれ以外の質問をすることができない。

 マッチ棒の先の炎より大きな炎を見たことがない子供が、街全体が焼け落ちるのを伝えようとする様子を前にして僕は言葉を見つけられなかった。


10月29日午後6時8分

 アフメドががれきの下からはい出てきて、君に話しかけている。

 何千トンものほこりを吸い込んでしまった。僕の色は灰色だ。(君に知らせておく必要があるかと思って、念のため)。僕は、2つの色(赤色と灰色)に分かれてしまった家族の人数を数えることができなかった。色が見えていたのであればの話だけれど。

 ガザでは色を選ぶなんていう贅沢はできない。赤、つまり君は血まみれだ。灰色、つまり君は自分や隣人の家の残骸、そして石で生き埋めにされたが、そこから生きてはい出したのだ。

 僕はほんの少し前に死を目撃したアフメドだ。心理サポート活動で培った経験はあるけれど、子供と母親の叫びを聞いて心が折れてしまった。

 何か言おうとしても僕の言葉は空回りし、子供たちの心に語りかけることもできなかった。事実、僕には誰のことも見えなかった。ただ、その叫び声から彼らが生きていることだけが分かっていた。(君に教えてあげよう。愛する者の叫び声を知っておくべきだ。それがその人を識別して、生きているかどうかを確認する唯一の方法だから)。

 僕、アフメドは前まで抱いていた夢を嫌いになった。僕は慣れ親しんだ美しい思い出を失い、友達はいなくなり、安全であるはずの家もなくしてしまった。

 アフメド。そして僕は、僕や子供たちの心臓と大して変わらない大きさの戦争を止められない世界が嫌いだ。

 僕はアフメド。この文章を書きたくない。急いでいるからだ。別のミサイルが狙いを外すまでに、この文章を公表できないかもしれない。そうなったら僕とこの文章は日の目を見ることはないだろう。


11月8日午後8時24分

 ここで質問がある。音速の壁を超えるロケットと、口で捕らえたミサイルのかけらを吐き出しながら


シャハーダ

を唱える子供があげる悲鳴、どちらが早く耳に届くだろう。

 あまり熱心にこの問いについて考えなくていい。なぜなら賢明で筋の通った答えを考えているうちに子供がまた1人、叫びながら亡くなってしまうのだから。

 この質問に心を砕かなくてもいい。君に向けた質問ではないからだ。これは僕が自分自身に問うたものだ。考えているうちは心を病まずに済む。

 昔、僕は心を病んだ人々を擁護していた。僕は精神的に健全な英雄で、救世主だった。僕は精神に不調をきたした人々について語る人のことを恐れていた。実際、そうやって語る人たちのことが嫌いだった。精神的に病んでいる人たちのことを僕は分別のある人だと語ってきた。この戦争が始まるまでは。そういうことだ。

 正気を失った人間が君に話しかけている。彼の髪の毛は灰色で、息も絶え絶えだ。(これは誰にも言わないでほしい。僕と子供たちだけが知っている秘密だ。僕が彼らに呼吸を貸しているから、彼らは爆弾を吐き出すことができる)。完全なる混沌だろう? でも大丈夫。重要なのは心を病んだ人間の代表である僕が君に語りかけているということだ。「普通の人たち、調子はどうだい?」

 分かってる。また質問をしてしまった。大丈夫。君は時間をかけて考えてもいい。


11月11日午後6時22分

 彼は安眠から目覚める。お気に入りの音楽を流し、恐らくジャズだろう、趣味がよければの話だけど。水はたくさんある。多分、音楽を聴きながら温かい湯につかるのだろう。そして優雅に朝食を取る。彼は妻に言う「愛してる」。妻が返答することもあるだろう。彼は朝刊を手に取り、星座占いに目を通す。(彼はうお座だろう。優柔不断だから)。彼は着替え、フォーマルスーツを着る。そして、どの色のネクタイがこの日に最適かを決めあぐねる。(彼は赤を選ぶだろう。その色と、その色が表すものが好きだったから)。そして、恐らく香水をつける。香水が好きなわけではない。習慣だからそうするだけだ。香水の名前は「野蛮(Sauvage)」である可能性は高い。重警備の車に乗り込み、護衛団つきで仕事場へ向かう。皆に秘密を知らせるために。

 そして、これら全てが起こっている一方で僕らはガザにいる。僕は命を落とし、叫び、夜を呪う。神を崇拝し、許しを請い、恐れ、眠り、目覚め、パニックに陥り、衝撃を受け、繰り返し叫ぶ。恐れ、死を迎え、がれきの下からはい出し、夜を呪い、秘密を聞くために右往左往する。

 僕らはスーツを着て赤色のネクタイを締めた男の話を聞く。「我々はガザの戦争を非難する」。僕らはその言葉がひどく匂うことに気づく。朝、彼はそれを清め忘れたのだろう。


11月18日午前2時52分

 戦争が始まって、今日で43日目。友人や知人と共に言葉と声もなくしてしまった日から書くことはやめた。

 偶然にも、この戦争がどれだけ古いものか気づかされた。偶然にも、僕はまだ生きている。そしてミサイルはまだ僕に当たっていない。この投稿を書いているこの瞬間に、僕はまだ数字になっていない。

 僕は「戦争」と呼ばれる、恐ろしい悪夢を生きている。ずっと起きたまま、今日までそれを楽しんだことはない。平穏に、邪魔されず、安全に、まとまって眠れたのは2時間だけだ。

 僕の生活にはとても制限が多い。でも朝ではなくともコーヒーが飲めるから、自分のことを幸運だと思っている。(安くコーヒーをつくるために膨大な時間をかけて試行錯誤した)。種類と質に難はあるけれども成功はした。今日までの僕の控え目な経験から言うと、コーヒーは空腹を紛らわすのに最適だ。

 友人と連絡を取る手段はないし、僕は出来事の多くを知らない。僕が知っているのは自分の周りで起こり、自分の目で見たことだ。起こったことの要約は以下のとおり。市場に野菜や食べられるものは売られていない。僕の隣人の薪コレクションは著しく充実した。たばこの価値は金と同じくらいだ。友人はシャンプーを使わずに(水を節約するため)シャワーを浴びることができた。1週間と数日ぶりのことで、それまではウェットペーパーで体を拭いていた。世界は戦争を止めることをみじめに失敗した。


11月24日午後5時21分

 いい朝だね、なんてとても言える状況じゃないけど、この世界にひとついいことが残っているとすれば、僕がまだ生きているということだ。

 多くの友人や親せきが目の前で死んでいったのを見た。応急処置は単なる論理だ。燐家が爆撃された後、痛みに苦しむ子供を僕はこの方法で助けた。論理的な応急処置をほどこしてから数時間後、論理で子供を救うことはできず、彼は多くの問いを残して死んでしまった。

第1の質問:なぜ戦争をしてるの?

第2の質問:戦争はいつまで続く?

第3の質問:戦争が終わるまでに何人の子供が犠牲になればいい?

第4の質問:普通の生活ってどんなものだろう?

第5の質問:戦争を始めた人間は、僕らの心はこの状況に耐えるには小さすぎると知っているの?

 僕は救えなかった、自分の疑問に溺れていく子供のことを。彼は特に僕の右肩に幾つもの疑問符をぶつけていった。

 生き残ることを可能とする方法は極限まで限られている。子供の叫び声が僕の記憶に蓄積されていく。全てのことを嘆き悲しんでいるし、悲しむことを止められない。

 この世界で高級スーツを身にまとっているやつら、君は自分のことをよく分かっているだろう。質問におぼれる僕らのことを、どうか放っておいてくれ。新たな問いをつくりだす必要なんて全くない。戦争を止めろ。



11月29日午後2時

 停戦中は何をすればいい?

 戦争が戻ってくるのが怖い。


12月3日午前6時55分

 震えながら文章を書いている。怖いから震えているんじゃない、寒いから震えているんだと自分に言い聞かせている。

 なぜこんなことが起きているのか自分に尋ねている。ミサイルのかけらがふりそそいでくる音を聞いて最初に逃げ出した僕にとって、恐怖の真の定義とは何だろう。

 僕は何を怖がっているんだろう。人はなぜ逃避を「魂の平穏」と呼ぶのだろう。実際に起こっていることは「平穏」とは真逆なのに。

 僕は4度に3度は恐怖と死から逃げおおせている。(実際の数は知らない)。そして、ガザで生き残るのは決して英雄的な行為じゃない。

 君に話しかける怯え切った男はスーパーヒーローでも、ましてや歴史的な偉人でもない。彼は単純な夢を幾つか持つ普通の人だ。もう一度、身の回りで起こる全てのことをばかみたいな冗談にして笑いたい。ごく普通の人間になりたい。それ以上は望まない。

 僕は震えながら文章を書いている。寒さと恐怖から震えている。